近畿地方から送るゆる~いブログ

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近畿地方から送るゆる~いブログ

近畿地方、主に滋賀県からお送りする雑記ブログです。映画や読書、滋賀県の素敵な観光地からお食事まで様々な事をご紹介したいと思います。

鬱になった事ない人も、現在治療中の人も。私が鬱を克服した話を書くから見てみてよ。

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そもそも鬱になった原因

鬱になるのは人それぞれだと言うことをまず知って貰いたい。何も会社がブラックだから鬱になったとか人間関係に疲れたから鬱になったとか。そういった事だけじゃないんだよね。よく「育児ノイローゼ」と言われるけど最近は「産後うつ」という言葉になっている。それだけ鬱病というのは身近なものというのをまず知って貰いたい。

 

私が鬱になったのは16歳の時で色々な人とお付き合いした中で「この人が一番好きだ」という人に巡り会えたのですがこれがお付き合いしている最中に降られまして。ただ降られるだけなら良いのですが「さようなら」と言われる目の前でイチャコラチュッチュですよ。このとき、自分の中で何かが壊れる音がしましたね。

そう自分の場合は「恋愛の終了」から鬱になってしまいました。「え?そんなの誰でもあるじゃない?」と思うかも知れませんが上記でも書いた通り人それぞれ鬱になる原因が違うんですよ。私は克服したのでよく解りますが鬱病で治療中の人に「それだけで鬱病になるのか」と言っている人がいますが、それは言わない方が良い。せっかく治療が上手くいっていても、その言葉が原因で振り出しに戻ってしまう可能性があるから。

 

私の場合は恋愛だったのですが自分が鬱病じゃないかなっと思ったのはずっと後でした。

 

鬱病になったらおこる症状

私の場合は一番最初に「あれ?おかしいな」と思ったのは何をしても楽しくない。当時はゲームが好きだったのですが急に楽しくなくなってしまった友人と遊んでも、学校に行っても何しても楽しくない。これが自分の中で鬱病という症状の初期症状でした。

 

その後は睡眠障害。今でも覚えていますが学校でぶっ倒れた事があるんですよ。気づいたら病院のベットだったのですが、原因は睡眠不足。気づいたら寝ずに4日目でした。その時疑惑が確信に変わりましたね。

「あ、これヤバイやつだな」と。

 

食欲は減るのではなく食べてしまう方でした。しかし満腹中枢が壊れてしまっているせいか全然満たされないんですよね。今思えば怖いくらい食べてました。

このときだけで20kg増えたかな。

 

しかし幸いな事に私はリスカなどするタイプではなく急に「あ、死にたいな」と思う程度でした。ま、それでも危ないと言えば危ないんですけどね。

 

病院へ行ったのが19歳の時

高校生時代というのは何か精神科に行くというのが嫌でした。自分の中で精神科に行くという事は自分が病気だという事を認めてしまう気がして中々一歩が踏み出せなかったですね。しかし「治したい」という気持ちで一歩を踏み出し行ったのですが案の定「鬱病」と診断されました。しかし行ってみて診断されるとスッキリするんですよ。「もしかして鬱病じゃないかも。他の病気かも。もしくは甘えかも知れない」という不安があったのですが病名がハッキリしたせいで気持ちはスッキリ。後は治すだけと思っていたのですが、ここからが長い道のりでした。

 

まずお薬が処方されるのですが飲んだことがある人、飲んでいる人なら解るかも知れませんが集中力というのが見事に無くなる。頭がボーとするという訳じゃなく頭に物事が入ってこないという言い方の方が正しいでしょうか。ウトウトと眠たくはないのですがそんな状態が続く、これには苦労しました。何せ学生時代に集中力が無くなるのは致命的ですからね。大きな副作用は無かったですが小さな副作用に苦労させられる場合が多かったです。

 

お薬を貰ったから治るのか!と言われるとそうじゃないんですよ。ここから長い通院生活がはじまります。

 

病院との相性が悪いと酷い目にあう

最初から最後まで同じ病院でしたが、今思えば相性は最悪でした。というよりもよく医者と喧嘩していましたね。なるべくネットなどで評価の良い病院を選んだつもりだったのですがあれは当てにならないという事がよく解りました。

本来ならば相性が悪いと「違う病院に行きたいんで」と言えば大丈夫なのですが、なにせここは田舎。近場に精神科というのは無いんですよ。なので我慢するしか無いのですが医者に対するストレスと「この人に任せて大丈夫なのだろうか」という思いからか、どんどん薬だけが増えました。結局病院に行かなくなったのは23歳でした。

 

23歳にて自分から病院に行かなくなった

23歳のある日に急に思った。「もう薬に頼らないでマイペースに治していこう」と決めたのがこの病気とさようならするタイミングでした。

いきなり薬を経ったので離脱症状が凄かった。それはもう3日間まともに歩けなかったです。説明が難しいですが酷く酔った状態になるんですよ。道路が斜めになったり頭痛、吐き気など立ってられなくなりましたね。そんなマイペースに治していこうという気持ちが良かったのか薬が体から抜けると体の怠さなどが無くなって気持ち良いんですよ。それから今までお薬に頼らないで過ごしているので辞めて正解だったと思っています。

 

自分の中で鬱病にならない為に思った事

ここからは言葉が雑になる部分があるのでお許しください。薬を経って「もう鬱病は嫌だ」と思った私は「自分なりに生きる」という事を選びました。きっとフリーランスを選んだのも無意識にそちらの考えもあったのかも知れません。今ではハッキリ言えますよ「悩みを深く考えるな、考えれば考えるほど悩む」。深く考えて解決出来ない時はいくら深く考えても解決出来ないんですよ。解決出来ない事によってストレスになり周りに当たって後悔するならば違う事に意識を持っていった方が良い。そうすると不思議と解決出来なかった事がフッと解決出来るようになってるんですよ。ストレスになっている時点できっと気分転換した方が良いよという脳の警告なんでしょうね。

 

人間関係で鬱になる人が多いのは「相手を理解しようとするも何か悪い事があれば自分の責任」にしてしまうから。なので今ならハッキリ言える。

 

「嫌いなら無理して付き合おうとするな、人間関係で悪い事が起こっても自分だけでの責任ではない。相手も悪い部分がある」

 

当時16歳の自分が思ったのは「自分がしっかりしてないから誰かに取られた」という考え方でした。しかし今もショックを受けるかも知れませんが「その程度の相手だったんだな」という考え方に出来る。これが一番鬱病にならない重要な事だと思います。

 

人は自分一人で解決出来る事というのは少ないです。人間関係や育児もそうです。相手やパートナーがいるなら相談や話し合いをして解決出来ますからね。それが無理ならば違う解決方法を調べる。自分一人で抱えない事が大事だと今なら言えます。

 

まだまだ世の中が鬱病という言葉に慣れてない

自分が鬱病かも知れない?と思って勇気を出して病院に行ってみること。一個目が駄目でももう何個か受けてみること。一個目が例えば「鬱病ではない」と言われても2個目、3個目と「鬱病」と診断される場合もある。

 

そして一人で悩まない。誰か親しい友人がいるなら告白する事。私は鬱病は隠すべき病気では無いと思います。自分がそうだったのも大きいのですが、実際に鬱病になって思ったのは周りに隠しながら生活するのは辛い。何せ友人の前では笑顔を作らなくてはっと無理に笑顔を作るのが辛かった。私の場合は理解ある友人ばかりで恵まれていたのでそれが今でも幸せだと感じます。

 

まだまだ鬱病に対する偏見が多い世の中ですが、急がないでゆっくり治す事。これが一番重要です。

 

今では「ゆる~いBLOG」というブログを書いて自分の文章はどうか解りませんが「え?ダンボーさんそうだったの?」と思う方も多いかも知れません。

鬱病に完治という言葉が無いのは一回鬱病になった人というのは再発しやすいからでしょうね。再発しない為にも今の自分を大切にしていこうという意味を込めて記事にしてみました。参考になれば幸いです。

【追記:2017/05/30】

この記事を書いてから約1年が経ったので新しい記事を書いてみました。

www.yuruiblog.com

今回の記事は「予防策」について書いてみたので、気になる方は是非上記の記事を参考にしてみて下さい。