近畿地方から送るゆる~いブログ

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近畿地方、主に滋賀県からお送りする雑記ブログです。映画や読書、滋賀県の素敵な観光地からお食事まで様々な事をご紹介したいと思います。

今の人は知らない!?中村玉緒さんは実は凄い人という事を知ってほしい!

中村玉緒さんは代々「役者」の家系で凄い人

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現在でもバラエティ番組で活躍している中村玉緒。若い人は中村玉緒が女優という事を知らない人も多いようなので、今回は「中村玉緒」について書いていきたいと思います。中村玉緒の父である二代目中村鴈治郎は大映映画の貴重な脇役で歌舞伎の家系に生まれたました。本名で「景子と雪江」でデビューしますがその後、女優として活躍出来ませんでした。しかしどうしても女優になりたかった中村玉緒は親戚で大映の重役も兼ねてた「長谷川一夫」に頼み込んで1954年大映へ入社。

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長谷川一夫は戦前から戦後にかけて2枚目の時代劇スターとして活躍すし「時代劇六大スタア」と呼ばれました。世の中の流行りや芸能人の追っかけの事を今の人は言う人は少ないですが「ミーハー」という言葉が流行りましやたが長谷川一夫の旧芸名である林長次郎ファンの為に作られた言葉で若い女性が好きな「つまめ」と「やし長次郎大好き人間」の頭を取って「ミーハー」という言葉が出来たようです。

 

名脇役としての道

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そんな長谷川一夫にお願いし大映に入社した中村玉緒は当時の給料は2万円。当時の大卒公務員の給料が8700円。ラーメン35円という時代で2万ですから破格の給料と言えますね。それに加えハイヤーで撮影所通いだったというのですからVIP待遇だったと言えます。

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1960年台半ばまで幼馴染の市川雷蔵山本富士子若尾文子らのスターらを支える脇役として活躍します。私は市川雷蔵の映画をよく見るのですが中村玉緒が名脇役だという事がよく解ります。その例として市川雷蔵の代表作の1つである「炎上」でも市川雷蔵、中村玉緒、中村雁治郎と名役者の活躍が観れる映画となっています。

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モノクロ映画ですが役者の台詞回し身のこなしを見ると現在の映画にはない非常に生々しい表現豊富を観ることが出来ます。現代では禁止用語となる表現が多く地上波では放送出来ませんが、後世に残すべき作品の1つと言えますね。

 

中村玉緒と勝新太郎

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中村玉緒の話をする際に必ず登場するのは勝新太郎。こちらも昭和を代表するスターなのですが勝新太郎は当時放蕩役者。放蕩というのは酒や女が好きな有様を言うのですが、当時の中村玉緒は大映を代表するお嬢様女優。勿論、中村家は大反対でしたが、2人は結婚する事になります。結婚後も酒と女好きは変わらなかった勝新太郎ですが生涯、中村玉緒を愛し続けたと言えます。

以外にも勝新太郎はマネージャーを通して中村玉緒にプロポーズするほどシャイだったそうです。そういった意外な一面もファンが多かった理由かも知れませんね。

 

平成生まれから見た中村玉緒

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私は「さんまのからくりTV」やドラマなどで活躍している姿をよく見ます。バラエティーの印象が今の人からすると「元気なお婆ちゃん」というイメージなのではないでしょうか。私の子供自体に「玉緒っち」というのが流行りましたが調べて懐かしい記憶がよみがえりました。

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こういった商品が出ていたという事は「マスコットキャラクター」のような人気だったとよく解ります。大人になってから市川雷蔵の映画を観るようになり女優としての中村玉緒をみると凄さがよく解ります。

 

まとめ:中村玉緒はやっぱり凄い人

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中村玉緒は1939年7月12日生まれで現在77歳。喜寿を迎えてもまだまだ元気ですよね。2017年は「一茶」「DESTINY 鎌倉ものがたり」などの映画に出演予定と、女優としても活躍されるので、長生きして欲しいですね。今回は女優「中村玉緒」をご紹介してみました。