近畿地方から送るゆる~いブログ

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近畿地方、主に滋賀県からお送りする雑記ブログです。映画や読書、滋賀県の素敵な観光地からお食事まで様々な事をご紹介したいと思います。

【映画・ネタバレ有り】「いつまた、君と 何日君再来」を観てきた感想とレビューを書きます!-こんな実話があるとは、涙無しでは観れない作品だった-

向井理の祖母の手記を映画化!

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原作は向井理の祖母の手記で自伝である「何日君再来」を映画化した作品となります。向井理が大学生時代に祖母の自伝をパソコンで打ち込み実費出版しました。祖母の90歳の誕生日プレゼントに作成したそう。原作は実費出版のため手に入るのは不可能ですが映画化に伴い出版社から出版する可能性もありますね。

しかし映画を観た後に「自伝」というには波乱万丈過ぎる人生にフィクションドラマを観ているかのように思えます。こんな人生があるのかと思うと涙無しでは観れない作品ですね。気になるストーリーは。

尾野真千子が主人公となる朋子役を演じ、向井が夫の吾郎役を務めて主演を果たした。監督は「神様のカルテ」の深川栄洋。脚本はNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」や大河ドラマ「八重の桜」などで知られる山本むつみ。亡くなった夫の吾郎との思い出を手記としてまとめていた朋子だったが、完成を前に突然倒れてしまう。そんな祖母にかわり、手記をまとめていくことになった孫の理は、祖父と祖母が歩んできた戦中戦後の波乱に満ちた道のりと、深い絆によって結ばれた50年におよぶ夫婦と家族の歴史を知ることになる。主題歌として、タイトルにもなっている昭和の歌謡曲「何日君再来」を、女優の高畑充希が歌った。 (映画.com引用)

 では、早速感想・レビューを書いていきたいと思います。

 

映画の始まりは昭和15年の日本の喫茶店

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初めてのデートで緊張している朋子(尾野真千子)吾郎(向井理)。ぎこちない会話の中、吾郎が来週にも南京へ戻らないと駄目だと朋子に言う。吾郎は除隊し新聞屋で働く事になっていたが、新聞屋を断ったのだ。南京の景色は綺麗だと嬉しそうに絵を書きながら説明する吾郎の姿に見惚れた朋子は一緒に南京へ行きますと結婚を決意する。

 

そして話しは現代に戻り一人暮らしの祖母(野際陽子)の家に向かい大学生の孫である理(成田偉心)。祖母の家を訪ねた理だったが、祖母は台所で倒れていた。

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軽い脳梗塞だったため一命を取り留めた祖母だったが朋子を見舞いに来た伯父の昇(大石吾朗)瞭(田中隆三)。2人は祖母である朋子を心配し一緒に住もうと頼んだが住んでくれないと悩んでいた。そして一人娘である理の母である真美(岸本加世子)に理が一人暮らしを始めたから祖母と一緒に住んでくれないかとお願いするが真美は頑なに拒否をする。後日、祖母の家に訪れた理は祖母がパソコンを初めていた事で驚き、画面を見てみると自伝をパソコンに入力している途中だった。

 

昭和17年終戦後~昭和24年

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時代は戻り昭和17年。南京で生活する朋子と吾郎に長男の昇が誕生する。しかし仕事が上手くいかず先輩である高杉さん(駿河太郎)に紹介で上海へ行くことになる。そこで次男の瞭が生まれ、家族4人で暮らす中、日本は敗戦する。敗戦後は上海から引き上げ船で帰国する事になるのだが、その舟の中で瞭が舟の中を歩くと1人の女性が「こっちへおいで」と瞭を抱え込む。瞭を返してくれない朋子の前に女性の娘が「もうあの子はいないの、置いてきたでしょお母さん」と問いかける。その言葉で我に帰る女性だったがずっと息子の名前を呼び続ける姿に朋子は悲しい表情を浮かべた。

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朋子の実家である愛媛に帰ってこいという父の言葉に甘え戻った朋子と吾郎だったが無一文で帰国した事に父の忠(イッセー尾形)は辛くあたった。吾郎の祖父は村一番のお金持ちだったが、今は何もない吾郎に「お前は今は何もない。何もないやつが畑仕事をしている俺をバカにするのか」となじり続けた。吾郎の祖父は一族から流行り病を出してしまった事に対し村の墓石の前で自害した過去がある。そんな苦悩から苦しむ吾郎をみた朋子は吾郎と一緒に実家を出る事を決意する。

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吾郎は一年間東京へ出稼ぎに行き、その資金で中古のトラックを購入し茨城県・恋瀬村へと引っ越す。しかしトラックはすぐ壊れてしまい運送屋を始めた吾郎だったが即廃業となってしまう。購入した中古トラックはアメリカ製のため日本での修理が難しく二束三文で売りに出してしまう事となる。

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昭和23年に福島県・棚倉で小さなタイル販売会社に就職し経営管理を任されるまでになった吾郎だったが仕入先の東京で酔っ払いが運転していた車にはねられ骨盤を砕く大怪我を負ってしまう。松葉杖をつきながらもタイル会社に戻った吾郎だったが、そこで見たものは書類が床に散らばって物家の空となった会社だった。経理の社員が金を持ち逃げしてしまい倒産してしまったのだ。自分の度重なる不幸に落ち込む吾郎だったが朋子が「父ちゃんといると楽しいよ」という言葉に元気を取り戻す。その時に大阪にいる高杉さんから荷物が届く。荷物の中には大量の寒天が入っていたが、それをみた吾郎は「商売を始めよう」と思い立った。

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夏にはかき氷を販売し、冬にはおでんを販売した「いこいの家」。大きな売上は無いにしても家族4人で暮らしていく稼ぎは出来ていた。翌年の昭和24年に長女真美が生まれ家族5人となり昇は小学校へあがり幸せな日々を過ごしていた。

しかし駅前には喫茶店などが出来た影響からか商売が傾き出してしまう。何か商売はないかと考える2人に朋子は「南京で食べたパンはどうだろう」と吾郎に提案し最初は吾郎も「そうだな」と答えるが、小麦粉が手に入らない時代。小麦粉を買うには闇市に手を出すしかないという朋子の言葉に「闇市に手を出したら子供たちに卑怯な事をするな」と注意出来なくなってしまう」と吾郎は朋子に答えた。

 

再びタイルの訪問販売を始める吾郎だったが営業中に昇が近所のガキ大将にやり込められて黙って見ている姿を目撃する。昇が弱きな子供になってしまったのは自分のせいだと落ち込んでしまう。朋子が家に戻ると吾郎は昇に「なぜ黙ってた。殴っててでもやり返せ、殴って負けるのであれば棒を使ってでも勝て」と教える吾郎に「そんな事を教えないで」という朋子をみて悔し涙を流しながら「もう離婚しよう」と家を飛び出す吾郎。吾郎を探し同じように家を飛び出し探す朋子。見つけたのは野原で座っている吾郎の姿だった。そこで朋子は「一緒にいたい」と気持ちを伝え再び一緒に頑張ることを決意した。

 

昭和27年~昭和29年・そして現代へ

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先輩の高杉さんを頼りに大阪へと引っ越す一家。すでに45歳となっていた吾郎だったが高杉さんの後押し製油所の工員となり新しく出来る岸和田の油槽所の所長になってほしいと高杉さんに言われ運が向いてきたかのように思えた。しかし大阪を襲った台風13号が建設途中の油槽所をなぎ倒し再び吾郎から仕事を奪ってしまう。ある日、吾郎が「子供たちが巣立ったら2人で世界を回ろう」と話しながら絵を描いていく。そんな話をしながら「お前と結婚して幸せだった」という言葉に嬉しく思う朋子。そして立つ時に「近頃、ひどく痛む時があるんだ。俺も歳かな」と笑いながら足を引きずる吾郎だったが腰に腫瘍がある事が病院で発覚する

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47歳という若さで亡くなってしまった吾郎。朋子のもとに届いた手紙には吾郎が生前に書いた朋子や家族に向けられた言葉があった。朋子は決意し高杉さんに仕事を下さいと頭を下げる。しかし娘である真美はまだ小さいが為、住み込みで働くことが出来なかった。そこで朋子がとった行動は愛媛の実家に朋子を預ける事だった

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娘の真美は「母に捨てられた」と長年思っていたが、母の手記を読み事情を知ることとなる。話は現代に戻り真美は母が愛媛に預けた際に渡された手帳を思い出す。

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その手帳には吾郎が朋子に渡した花が挟んであり、母の大事なものだと知った真美は「母は私を捨てたんじゃない。捨てたのであれば大事にしてた手帳を渡すものか」と涙する。

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母の手記、そしてノートに対する思いから長年「捨てられた」と思っていた真美の誤解は解け、母である朋子と涙を流しながら抱き合い物語は終わりを迎える事となる。

 

野際陽子さんの遺作となる今作

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今月の6月13日に亡くなられた野際陽子さんの遺作となった今作ですが点滴を打ちながらも撮影をした野際陽子さん。1958年にNHKアナウンサーとして入局し1963年に女優デビュー。その後は数々の作品に出演しました。今作での出演シーンは全体の10分程でしょうが、無くてはならない存在だったと言えます。心からご冥福をお祈りします。

 

主題歌である「何日君再来」が本当にいい歌

原曲は1937年の上海で制作された「三星伴月」の挿入歌。当時人気だった周センが歌っています。その後はテレサ・テンなど多くの歌手によってカバーされています。私も初めて聞いたのは今回の映画ではなくテレサ・テンのカバー曲を聞いたことがあります。ミュージックビデオがYouTubeで公開されているので是非聞いてみてください。


高畑充希歌唱/映画『いつまた、君と ~何日君再来~』MV

この歌を歌った田畑充希さんは次のようにコメントしています。

歌詞は苦しかったり、悲しかったり、喪失感を感じるのにメロディー自体はとても明るく。だからこそすごく切なく感じました。歌詞から感じたストレートな愛情、相手のことをすごく”好き”という感情や、その人がいなくなってしまったときのポッカリ穴があいたような思い。色々な感情を自分に閉じ込めて感じたまま歌いました。 

 歌詞を見てみると本当に「こんなにストレートな歌詞があるのか」と思うほど素敵な歌詞です。歌を聞いてみた後にもう一度、歌詞に注目して聞いてみてください。きっと様々な思いがこみ上げることだと思います。

 

ラスト15分からは涙なしでは観れない作品だった

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序盤にも書きましたが「これが本当に実話なのか」と思うと涙なしでは観れません。パンフレットには各著名人からの映画に対するコメントがありますが、それを見ると年配の方や、若い方。すべての年代に「この映画は観て欲しい」とコメントがあります。私も同じことを思いました。戦後の日本の貧しさ、そして悔しさ。今の日本があるのはこういった時代があったからだと思える作品なので是非劇場に観に行ってくださいね。